1/1/2020 10:00 AM 頃

正月早々実家に帰省した。

最寄りの駅から実家までは、歩いて 10 分ほど。途中、かつてクラスメイトだった男の子の家の前を通ってみたら、なんと庭に彼がいた。

奥さんらしき女の人と、娘さんらしき女の子と庭で一緒に遊ぶ男の人の後ろ姿。十数年ぶりに見た彼は、あの頃と変わらず眼鏡をかけていて、あの頃よりずっと背も高くなり、すっかりお父さんの雰囲気を纏っていた。

一声かけてみようかな、と一瞬考えたのだけど、やっぱりやめにすることにした。彼がこの町で生きている、ということがわかっただけで私は満足だったし、なにより両親と一緒に遊んでいる、彼の娘の邪魔をしたくなかった。

さよなら、私のかつてのクラスメイト。
私も彼も、今はそれぞれの未来に生きている。

タイトル未定、あるいは去年の記事とはなんの関連もあるはずもないとあるお話

この記事は @Syarlathotep 様主催の自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019 9 日目の記事です。


E・piph・a・ny /ɪpɪ́f(ə)ni/
名(複-nies)[キリスト教]
1. [the ~]顕現日(1 月 6 日); 神の顕現, 現れ. 2. C[e-] 直覚的な悟り. 3. C[e-] エピファニー(物事や人物の本質が露呈する瞬間を象徴的に表した文学作品).

− ウィズダム英和辞典 第 2 版 より引用


なにかのきっかけで、気づいてしまうことがある。悟ってしまうことがある。

おとなは、だれも、はじめは子どもだったことを
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいないことを)
お砂糖とスパイスとすてきなものぜんぶでできた女の子は、大航海時代以前にはたいへん珍重されていたに違いないことを
寂しそうに笑った顔が、ジェームス=ディーンによく似ていたことを
アシカとオットセイの違いは 50 円だということを
自分の人生は終わりを迎えたことを
義なるものの上にも、不義なるものの上にも、静かに夜が来ることを
社会的ダーウィニズムに抵抗するには教養の力が必要だということを
言葉は思うよりも暴れてしまうことを
言葉は思うよりも溢れてしまうことを
この世には自分には思いもよらぬつらく悲しいことがいくつもあるってことを
自分にはなにひとつそれらが見えていなかったことを。

思えば、かつての私は虚空でした。
世界を「冷静に」分析した気になって
最適化の名のもとに人間の感情を問題の解決における非効率的な要素とみなし
感情移入や共感を精神汚染といいかえて
現実をより端的に、露悪的かつグロテスクな形で提示することを誠実とし
人の気持ちなど完全にわかるはずもないのだからそれを考慮しようとすること自体を不誠実とし
そのくせ同じ天秤が自分に返ってきたら不機嫌になり
いや、その百分の一が返ってきただけでも不機嫌になり
自尊心の低さをプライドの高さで鎧して
たとえその言の葉が誰かの心と腎とを引き裂こうとも、魂を深く傷つけようとも

「私は事実を述べたまで。どう受け取るかはその人の自由」
「私が言ってもいないことを勝手に読み取って傷ついたり怒ったりするのは感情のバグだし時間の無駄だからやめたほうがいいですよ」
「それで傷つくのはその人が弱いから。たとえ今私がその弱さに気を遣ったところで、そう遠くないうちにこの人の心は他の誰かの手により殺されることでしょう」

と本気で思っていた「わたし」、あるいは虚空のあなた。
そんなあなたの視点からは、今の私は大変滑稽に映っていることでしょう。

泥濘に塗れ、霊において呻き、
病める魂に少しでも近づかんと、
同じ気持ちを分けあうことができないとしても
少しでも、あと一歩だけでもわかろうとして
その人が何を見てきたのか、何を耳にしたのか、
何に触れたのか、その時何を感じたのか、
自ら闇の中に飛び込んでは、心を散り散りにかき乱しています
人間の心理に関してただの素人以上になにもわからない私が、
人の心に触れるには、こうするより他に手が思いつかないのです。
こうでもしないと、またあなたが顔をのぞかせてしまうのです。

あなたは愛を持たなかった
あなたは真理を持たなかった
あなたは善意の秤を持たなかった
他人の感情のくすしさを理解できなかったあなたは
自分の感情の必要性から目を背け
充たされざる思いを抱えながら
目を閉じ、耳を塞ぎ、この世界にひとりでいることを自立と呼んだ
世界はひとりで生きていくには広すぎるのに。

あなたは自分の目の前にいる人に目を向けたか
あなたは自分の目の前にいる人が夜毎に泣いていたことに目を留めたか
あなたは自分の目の前にいる人が、ここに来るまでに何を失ってきたかに気づいたか
あなたは自分の目の前にいる人が、虚空に何かを与えてくれたのか気づいたか
あなたは生まれてくる前に死んでいく者に対し、ただ涙を流し祈るほかにできることが何もないことに気づいたか
あなたは自分が虚空であったことを悟ったか
あなたは自分が死に至る病に罹っていたことを悟ったか
あなたは自分の罪に気づいたか。

気づいてしまったのなら、戻れない。
Ὕπαγε ὀπίσω μου, Σατανᾶ.

はじめに言葉があった。
言葉は神とともにあった。
言葉は神であった。
神さま、神さま
私はどこまでも愚かですから、
貴方の深い慈悲と智慧とを理解できません
世界はこんなにも広いのに
御手はあまりにも遠く、
私の腕はあなたに届きそうもありません

(未完)

男の人になりたくなかった男の子の話 第 1 部

この記事は@Syarlathotep 様が主催の自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2018 2 日目の記事です。この記事は全 2 部構成の第 1 部で、第 2 部で書くつもりのいちばん語りたいことを伝えるために前提となるお話を共有するために書かれた記事、という位置付けです。
なお、はじめに述べておくのが誠実だと思ったのでここで書いておきますが、このお話の第 2 部は不特定多数の人たちがオンラインで閲覧する環境に投下されることは金輪際ないでしょう。2018 年 11 月末時点では、第 2 部の核心部となるエピソードのひとつを当事者以外で共有しているのはひとりだけです。

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私がまだ 10 進法で 1 桁台の年齢の男の子だったときのこと。

私は男の人になりたくなかった。
男の子であることには不満はなかった。でも男の人にはなりたくなかった。

母によると、幼いころの私はなかなか言葉を話さずに周囲を(特に母を)やきもきさせたのだそうだけど、いったん言葉を話し出したあとは「女言葉で日本語を喋っていた」そうだ。どうも私が幼かったころの一時期、私の母は育児ノイローゼにかかっていて日中は私とふたりで家に引きこもっていたらしい。母の推理によれば、その時の私は言語の獲得手段をもっぱら母に頼らざるを得なかったため、母が私に語りかけるしかたで言葉を話すようになった、ということだ。

「たとえばどんな言葉を使っていたの?」
「全体的にそうだったんだけど、わかりやすいとこだと語尾に〜だわ、〜なの、〜かしら、とかつけてたわね」

前ふたつはともかく、最後のひとつつは誰でも使う語尾じゃないかしらん。『ドラえもん』でものび太くんが使っていたし、夏目漱石の小説でも登場人物の男の人が衒いなく使っていたし、たぶんその影響で今の私もなにげなく使っているし。

話を積極的に横道に逸らせていこう。当時の私はさすがにそうではなかったのだろうけど、今の私の語彙や話し方は会話からよりも読書から獲得した割合が間違いなく多い。20 歳の時、大学の先生に「君は書き言葉で話すんだね」という評価をいただいたことかあった。当時の私は褒められたもんだと思いこんで、素直に「ありがとうございます」と述べたのだけど、あの時先生は私に「もっと自然に話しなさい」と言いたかったのだ、ということにあとで気がついた。最近はできるだけ「自然に」話ができるように頑張っているつもりなのだけど、先日も友人の結婚式の場で新郎の母親に「失礼ですが変わった話し方をされるのですね」とご指摘をいただいてしまったので……まだまだ努力が必要みたいです(単に挙動が不審だったという可能性もある)。

話を少し戻そう。子供の頃に私が育った環境では父親が論理的には存在していたのだけれども、精神的には存在してないも同然だった。なので私は大事なことはみんな母から学んだ。ご飯の食べかた、着替えかた、掃除のしかた、買い物のしかた、母に鞭棒代わりの棒でお尻を叩かれる時にできるだけ痛みを低減するための身のこなしかた、家に誰かを招いた時のパーティの開きかた、この世のありさまのこと、神様のこと、生きるということ、そして男の人と女の人のことを。

私の母は、子供の頃の私に男の人の恐ろしさについてよく話した。話した、というより、話してくれた、というか、話してくださった、みたいな。母の言うところによると、男の人というのはたとえどんなに優しくみえる人でも、女の人と一緒にいると女の人を傷つけてしまう生き物だ、たとえばこんな話を聞いた……と言ってはいったいどこから仕入れてきたのか、男の人が女の人をいろんなしかたで傷つけた、というさまざまな事例を事あるごとに私に語るのだった。

もちろん当時の私だって、それらの話の意図するところは我が子にそういう男の人になってもらいたくなかった、という親心からくるものだということはわかっていた。そのうえでその話は私にとって、母の意図しないところで、当時すでに芽生えていた男の人になることへの恐怖感、というか嫌悪感、を強化するのに役に立ってくれた。

こういう風に筆を進めているうちにひとつ思い出したエピソードがある。あれは私が 11 歳の時だったと思う。私の家に母の友人がふたり、それぞれ小学生の娘をひとりずつ連れて遊びにきたことがあった。その場にいた男は私と私の弟だけで、はじめのうちは子供は子供同士で遊んで、大人は大人同士でおしゃべりに興じていた。

宴もたけなわになり子供達は私以外全員眠ってしまった夜 10 時ごろ、私は母の友人のひとりに呼び出されて大人たちがいる食卓へと向かった。

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ほんとうはこのあとにこの話の続きと、そして私が思春期を迎えたころの話を加えるつもりだったのですが(むしろそれが第 1 部の本題でした)、アドベントカレンダの締切がもうとっくに過ぎてるので第 1 部はここまでとします。よってこの話ははじめに全 2 部と言いましたが、第 1 部の後編が第 2 部に、そして本来第 2 部だったお話が第 3 部にスライドして全 3 部となります。第 2 部はいつかインターネットのどこかで公開されるかもしれません。どうかよしなに。

そして今回のアドベントカレンダの主催者の @Syarlathotep 様、遅刻ごめんなさい。12/2 の 35 時に投稿したということでどうかひとつご勘弁をお願いします……。