あなたに見えない私の昔のこと

この記事は 自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2021 の 24 日目の記事です。

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ある日の午後のこと。あなたはおうちで本を読んだり、テレビを見たり、ゲームで遊んだり、お昼寝をしたりしてのんびりと過ごしていました……と仮定しましょう。その時突然、玄関の呼び鈴が鳴りました。いったい誰だろう……? と不思議に思いながら、あるいは、またあれか……とため息をつきながら、インターホンのモニタを覗いてみましたら、そこにはわりと身なりの整った 2 人組が立っています。もしかしたらそれは、大人と子供の組合せだったかもしれません。そして子供が口を開きました。

「こんにちは。今日はこの町のみなさんに、聖書からのメッセージをお届けに伺いました」

みなさんの中にはこのような形で、招かれざる訪問客が家にやってきた経験をしたことがある方もいらっしゃることでしょう。私はかつて、この子供のほうの招かれざる訪問客でした。

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私はとある新興宗教のいわゆる「2 世」として育ちました。新興……と呼ぶにはいささか苔むした感がありますが(今となっては本家のアメリカのみならず日本でも、2 世を通り越して 3 世の子供たちが育って組織を支えつつあることですし)、それでも一般的には新興宗教のひとつだとみなされています。

家族の中で一番最初にその宗教と関わりを持ったのは、私の母でした。のちに母から聞いたところによると、当時の母は数年前の父との結婚を機にそれまで住み慣れた町を離れ、それまで縁もゆかりもなかったとある首都圏のアパートにて、2 歳になる私と、生まれたばかりの弟とをほぼワンオペで育てていました。当時の父はサラリーマンとして都内の会社に勤めていましたので、朝は私が起きるよりも早く家を出て、夜は私が寝るよりも遅くに帰ってくる、という生活でした。なので子供の頃の私にとって、父は「休みの日にゴルフに出かけるか、お昼ごろまでベッドで寝ている人」以上の印象がありません。
(父の名誉のために付記すると、父は時々私たち家族を遊園地などに連れて行ってくれたり、どこかに食事に連れて行ったりしてくれてました。私の記憶の中にも、たしかにそのことは残っています。ですが私の印象としては、家庭の中において父の存在は希薄でした)

何年か前の記事にも書きましたが、私の母はそのような環境で育児ノイローゼにかかり、しばらくの間近所の人たちと誰とも交流を持たず、私と 2 人きりで家に閉じこもっていたようです。そんな日々を過ごした母にとって、定期的に家を訪ねてくれては真摯に話を聞いてくれて、悩める母に(聖書からの)アドバイスをくれる人生の先輩たちが我が家のドアをノックしてくれてつながりを持てたことは、きっと救いになったことでしょう。そしてその人生の先輩たちが伝えた教えは、私の母に「私は真理を見い出した!」と確信させるのに充分な力を持っていました。父の強固な反対もありましたが、私の母は私が 7 歳の時に正式にその宗教に入信しました。そして私と私の弟は、母の子供として、その宗教の教えに沿った育てられ方で育てられることになりました。これまたのちに母から聞いたところによると、この時私の父は母に「俺はもう子育てには一切口を出さない。その代わり、それで子供たちの人生が台無しになったらお前の責任だからな」と言ったそうです。

ところで私がその宗教に関して抱いている最古の記憶は、たぶん私が 4 歳の頃だったかと思いますが、私の母と母の司会者(いわゆる指導役)の姉妹(この宗教では、入信済の仲間のことをお互いに兄弟姉妹と呼び合います)とが私の家で「子供を懲らしめるのにはどの鞭が一番効果的か」を話し合っている場面でした。今はどういうわけだかだいぶ下火になったようですが、私が子供の頃にはその宗教では、子供を懲らしめるのに鞭を積極的に用いることが推奨されていました。むしろ「鞭棒を控える者はその子を憎んでいる(Pr. 13:24)」とさえ言われていました。私も弟も、一体何度母にお尻を鞭で叩かれたのか……数えるときりがありません。鞭が嫌で暴れる私を制圧するため、首を絞められながら鞭打たれたこともありました。「鞭打たれて泣くのは反抗的な証拠なので、泣いたら鞭の回数を増やす」ということもありました。

……ここまで書いて、なんだかその宗教の名前をぼやかして書くのが大変になってきました。その宗教は内部では英語名のアクロニムで JW と呼ばれてたりしますので、以降は JW と表記します。

私の母は私と私の弟を模範的な JW として育てることに腐心しました。それが神から子供たちをあずかった親の務めだ、と考えていたようです。クリスマスやお正月、鯉のぼりや七夕などは邪教の教えですので、うちでは祝われたことはありませんでした。誕生日も NG でした。なので私は今でも、自分の誕生日におめでとう、と言われるのことに罪悪感を覚えます。他の人たちに対しておめでとう、ということには抵抗はないのですが。

JW の教義の中核には終末論があります。終わりの日には悪魔に従う悪人は滅び去り、神に従う善人は楽園に行く。そしてその終わりの日は近い、という教えです。今でこそこの終わりの日は「その日は近いけれどもいつ来るかはわからない」というのが JW 内でのコンセンサスとなっていますが、私が子供の頃は「この日までに来る」といった感じの非公式な話が割とカジュアルになされていたような気がします。私の母は私が 10 歳になるかならないかくらいの頃まで、私に「あなたが 13 歳になる前にこの世は終わる」と言っていました。私はそれを聞いて、是非ともそうであってほしい、と思いました。もし仮に私が神の目に良いと選ばれて楽園に行くならそれはそれで仕方ないし、もし仮に悪魔と一緒に滅ぼされるのならば、私は大人になる前に神様が殺してくださるのですから。13 歳までに世界が終わる、という母の言葉は、小学生の頃の私にとっては、本当にそうであってほしい、という願望となりました。なので私は子供の頃に将来の夢、というものを抱いたことがありませんでしたし、つい最近になるまでこの将来の夢、という概念に対するネイティブな感覚が養われていなかった気もします。

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まだまだ話したいことはいっぱいあるのですが、私にとって昔のことを思い出す、というのは、古傷や臓腑を自ら抉る感覚に似ています。疲れたので今日はここまでにさせてください。ここまで読んでくださってありがとうございました。何か聞きたいことや質問がありましたら、できるだけ誠実に答えます。